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【哲学博士が解説!】ソクラテスの名言50選

ソクラテスのプロフィール

生誕:紀元前470年-紀元前399年(71歳)/出身:アテナイ Alopece Deme/アテナイ出身の古代ギリシアの哲学者/研究分野:認識論、倫理学、目的論/主な概念:社会のアブ、ソクラテスの対話、ソクラテスの主知主義、ソクラテスのアイロニー、ソクラテス式問答法、ソクラテスのパラドックス、ソクラテスの疑問

①「真実・真価」に関するソクラテス名言22

何人も本意から悪人たるものなし

ソクラテス
ソクラテス
何人も本意から悪人たるものなし。

「ただ単に悪い事をしたいから悪いことをする」という人は存在しません。全ての悪事は「自分が幸せになるために仕方がなく行う事」であったり、「その気が無いのに、意図せず悪いことをしてしまう」という構造だったりします。例えば、「ラクにお金を手に入れる為に強盗をする」とか「便利だから車を運転していたら意図せず人を轢いてしまった」など、悪事は「主たる目的」にはなり得ません。全ての悪人、悪事にはそれよりも先に論理的、合理的な理由があるのです。

勉学は光であり、無学は闇である

ソクラテス
ソクラテス
勉学は光であり、無学は闇である。

「頭の良さ」というのは「認識が出来るかどうか」という点でも計ることができます。お医者さんは医学について詳しいからこそ、患者さんの状態から「何がどう悪いのか」という事が認識できますし、車の整備工は、熟知しているからこそ、「車のどの部分に不具合があるか」をすぐに認識出来ますよね。このように何かについて詳しい人はそこに光が当たっているかの如くよく見えるようになります。対して、無学つまり詳しくない人は何を見たらいいのかわからない、何がどうとかわからないので、何も見えず何をしたらいいかもわかりません。つまり、闇の中にいるようなものなのです。

賢者は複雑なことをシンプルに考える

ソクラテス
ソクラテス
賢者は複雑なことをシンプルに考える。

人が悩む時に困ってしまうのは、大抵、複数の困り事をごちゃ混ぜにして、訳がわからなくなってしまい「どうしたらいいかわからない」と途方に暮れている状態になっている場合が多いです。賢い人はたとえ先述と全く同じ困り事があったとしても、それらの問題が整理整頓されているために困ったとしても悩む事がなかったりします。このように問題を整理整頓できる、つまり「複雑なことをシンプルに考える事ができる」かどうかでも、賢者か愚者かを見分ける事ができます。

生きるために食べよ

ソクラテス
ソクラテス
生きるために食べよ、食べるために生きるな。

食べるというのは欲求の解消でもあります。つまり食べるために生きるという事は、「欲求に支配されて生きる」と言えます。食欲だと分かりにくいですが、性欲に置き換えるとそのみっともなさがよくわかります。性欲に支配されて、痴漢をする、セクハラをする、露出狂になる、などなど避けるべき行動、生き方ですよね。あなたの人生を良いモノにしたいのであれば、欲求に振り回されないように気をつけましょう。

真の賢者は己の愚を知る者なり

ソクラテス
ソクラテス
真の賢者は己の愚を知る者なり。
ソクラテス
ソクラテス
自分自身が無知であることを知っている人間は、自分自身が無知であることを知らない人間より賢い。
ソクラテス
ソクラテス
唯一の真の英知とは、自分が無知であることを知ることにある。

多角的なモノの見方が出来る人は賢いと言えます。「私はこう思う!だから、これが正しい!」と言う人は、視野が狭くなっているため愚者と言えるでしょう。対して「私はこう思う!でも、人によって逆が正しいと感じるのも理解できる」と己の意見が絶対的に正しいと主張しない人は賢いと言えます。また己の愚を理解していると改善、成長が出来るスキがあるため、ますます賢者になることができます。

一番小さなことでも満足できる人が一番裕福

ソクラテス
ソクラテス
一番小さなことでも満足できる人が一番裕福である。何故なら満足を感じることが自然が与えてくれる富だからだ。

この名言は、幸福や豊かさは、物質的な富や外部の状況によってではなく、内面から生まれるという考え方を反映しています。例えば、一皿100円の回転寿司で満足できる人は、たった1,000円でもそれなりに満足出来ますが、普段から良いお寿司を食べて、舌が肥えてしまっている人は1,000円では満足できません。このように、同じ1,000円でも「幸せの量」は違ってきます。1,000円で幸せになれる人は財産が減りにくく、1,000円で満足できない人が幸せになるには、お金がかかります。決して、お金持ちがイコール裕福というわけではありません。幸せになる近道は心を裕福にする事かもしれません。

悪法もまた法なり

ソクラテス
ソクラテス
悪法もまた法なり。

法律や規則が不道徳であっても、それが法律である以上、遵守しなければならないという考えを表しています。法の妥当性は、その道徳的な正当性や合理性に基づくべきですが、実際にはそうでない場合もあります。

不正を受ける者は、不正を働く者よりも幸福

ソクラテス
ソクラテス
不正を受ける者は、不正を働く者よりも幸福である。

不正を受ける側の者は自己の良心に従い、正義を守ることで内面的な満足感や誇りを得ることができます。一方、不正を働く者は他者を欺き、自己の欲望や利益のために倫理的な原則を無視することで、内面的な自尊心や満足感を失う可能性が高いです。また、不正を受ける者は、社会的な信頼や尊敬を得ることもできます。彼らの行動は、他の人々に善良な行いの模範を示し、社会全体の道徳的な基盤を強化する一助となります。一方、不正を働く者は社会から排除される可能性があり、その行動は信頼や尊敬を失う結果となるでしょう。短期的な利益と長期的な利益、信頼、成長・・・何が幸せか、よく考えましょう。

唯一の善は知識であり、唯一の悪は無知

ソクラテス
ソクラテス
唯一の善は知識であり、唯一の悪は無知である。

「唯一の善は知識である」という部分は、知識が人間の善性や幸福に不可欠であることを強調しています。知識を持つことで、人々は自分自身や他者、そして世界について深く理解し、より良い判断を下すことができます。それによって、人生の目的や意味を見出し、充実した人生を送ることができます。一方、「唯一の悪は無知である」という部分は、無知が人間の行動や判断に悪影響を与えることを指摘しています。無知の状態では、人々は自らの無知を認識せず、間違った信念や行動を続ける可能性が高くなります。このことが、人々の不幸や混乱の原因になると考えられます。お金や人間関係、名声と違い、知識はいくら沢山持っていても、良い事しかありません。

幸福になろうとするならば、節制と正義

ソクラテス
ソクラテス
幸福になろうとするならば、節制と正義とが自己に備わるように行動しなければならない。

「節制」とは、自分の欲望や感情を適切にコントロールすることです。欲望に溺れることなく、冷静でバランスの取れた生活を送ることが求められます。例えば、暴飲暴食を避け、適度な食事を心がけること、または感情に振り回されずに冷静な判断をすることが含まれます。これにより、心身の健康を保ち、長期的な視点での幸せを追求することができます。次に、「正義」とは、「公正であること、他者との関係において誠実であること」を意味します。これは他人を不当に扱わず、正直に振る舞うことを指します。たとえば、約束を守る、他者の権利を尊重する、公平に接することが含まれます。正義を実践することは、自分自身の心の平和をもたらし、他者との信頼関係を築く基盤となります。ソクラテスはこれら二つの徳を持つことが真の幸福への道であると説いています。節制が自己管理を通じて内面的な調和をもたらし、正義が他者との調和を生み出すからです。どちらか一方が欠けても、持続的な幸福は得られません。したがって、自己の行動において常に節制と正義を意識し、それを実践することが大切です。

我々が皆自分の不幸を持ち寄って並べ

ソクラテス
ソクラテス
我々が皆自分の不幸を持ち寄って並べ、それを平等に分けようとしたら、ほとんどの人が今自分が受けている不幸の方がいいと言って立ち去るであろう。

まず、この名言が示すのは「不幸の相対性」です。人々はそれぞれ異なる問題や困難を抱えていますが、それらを他人と比較することは難しいということです。自分の不幸に慣れているため、他人の不幸がどれほど深刻かは想像しにくく、他人の不幸を背負うことに対して恐れや不安を感じることが多いのです。また、この名言は「自分の不幸に対する慣れ」を強調しています。人は自分の不幸に対してある程度慣れ親しんでいるため、どのように対処すればよいかを理解しています。しかし、他人の不幸は未知の領域であり、対処法がわからないため、それを背負うことに対して強い抵抗感を抱きます。そのため、結果的に自分の不幸の方がまだましだと感じるのです。さらに、この名言は「共感と理解の重要性」も示唆しています。他人の不幸を理解しようとすることは、共感と同情の心を育てる重要なプロセスです。自分の不幸だけに囚われず、他人の苦しみを理解し、助け合うことが、人間関係の深化や社会の和を築く基盤となります。最後に、この名言は「個々の不幸に価値を見出す」視点も提供しています。自分が抱える不幸には、自分だけが理解し得る価値や意味が含まれている場合があります。そのため、自分の不幸と向き合い、それを乗り越える過程で得られる成長や学びが大切であると考えられます。

指導者とは、自己を売って、正義を買った人間

ソクラテス
ソクラテス
指導者とは、自己を売って、正義を買った人間だ。

まず、「自己を売る」という表現は、単に自分自身を犠牲にするという意味だけでなく、個人的な利益や欲望を捨てることも含まれています。つまり、真の指導者は自分のエゴや個人的な利益を捨てて、公の利益や共同体のために行動する人です。次に、「正義を買う」という表現は、正義を手に入れるために努力し、犠牲を払うことを示しています。正義は自然に手に入るものではなく、意識的な選択と行動によって獲得されるものです。指導者はその過程で困難に直面し、時には自分の立場や安全を危険にさらすこともありますが、それでも正義を追求し続けるのです。この名言が伝えようとしているのは、真の指導者とは、自己犠牲の精神を持ち、個人的な利益を超えて公正さと正義のために行動する人だということです。指導者の役割は、単に権力を持つことではなく、その権力を用いて社会全体の幸福や公正を追求することにあります。

人間の最大の幸福は、日ごとに徳について語りえること

ソクラテス
ソクラテス
人間の最大の幸福は、日ごとに徳について語りえることなり。魂なき生活は人間に値する生活にあらず。

「日ごとに徳について語りえること」という部分は、日常生活の中で倫理や道徳について話し合うことの重要性を強調しています。これは単なる知識の追求ではなく、自己の内面を深く見つめ、自らの行動や考え方を改善しようとする過程です。ソクラテスにとって、「他者と対話し、共に考えることで初めて真の理解が得られる」と信じていました。次に、「魂なき生活は人間に値する生活にあらず」という部分は、魂、すなわち精神的・道徳的な側面を無視した生活は「人間本来の生き方ではない」と述べています。ここでの「魂」とは、ただ生きるための物質的な欲求や快楽に対するものではなく、内面的な成長や精神的な満足を指します。ソクラテスは、物質的な豊かさや表面的な成功よりも、内面的な充実と道徳的な成長を重視しました。つまり、この名言を通じてソクラテスは、人間が真に幸福になるためには、日々の生活の中で徳について考え、それを実践することが不可欠であると説いています。そして、それを行わない生活は、人間としての価値を失うものであると警告しています。日常の中での道徳的な対話と自己の内面の探求こそが、真の幸福への道だと教えているのです。

法は、善人のために作られるものではない

ソクラテス
ソクラテス
法は、善人のために作られるものではない。

「善人」とは、道徳的な行動を自発的に行う人々のことを指します。彼らは正義、公正、誠実さなどの価値を内面化しており、外部からの強制や罰則がなくても正しい行動をとる傾向があります。一方、悪人とは、自己中心的であり、利己的な動機で行動する人々のことを指します。彼らは他人の権利や社会の秩序を軽視し、自分の利益のために法を破ることを厭わないことがあります。ソクラテスの名言は、法の基本的な目的が社会の秩序を保ち、悪人の行動を制限することにあると示唆しています。つまり、法は善人を制約するために存在するのではなく、むしろ悪人が無秩序に振る舞うのを防ぐための手段であるということです。善人はもともと法を遵守する傾向があるため、彼らに対して特別な法的な規制や強制は不要です。しかし、悪人は法律の威圧や罰則がなければ、他人に危害を加えたり、社会の秩序を乱す可能性があるため、法による制約が必要です。この考え方は、現代の法律体系にも反映されています。例えば、刑法は犯罪を防ぎ、犯罪者を罰することで社会の安全を守ることを目的としています。また、契約法は信義を守らない者から正直な取引を守るためのものです。善人は自然にこれらの規範を守りますが、法はそれを守らない者に対して規制を加える役割を果たします。したがって、ソクラテスの名言は、法の存在意義とその対象についての本質的な理解を促すものであり、法の役割を再確認するための重要な視点を提供します。

出発の時間がきた

ソクラテス
ソクラテス
出発の時間がきた。そして、私たちはそれぞれの道を行く。私は死ぬ、あなたは生きる。どっちが良いのかは神だけが知っている。

この言葉でソクラテスは、死を恐れずに受け入れている姿勢を示しています。彼は自身の死を避けられない運命として受け入れ、それが良いか悪いかを判断することは人間にはできないと考えています。彼にとって、死は未知のものであり、生と死のどちらが良いかを知るのは神のみという信念を持っていました。ソクラテスは、死後の世界について確かな知識を持っていなかったため、死を恐れるよりも、むしろ生き方を全うすることに重きを置いていました。また、彼はこの言葉を通じて、自身の哲学的立場を強調しています。ソクラテスは常に知識と無知を区別し、真実を追求することの重要性を説いていました。この名言は、彼が無知を認める姿勢を象徴しており、どちらが良いかを知るのは神のみだという謙虚な姿勢を示しています。さらに、この言葉はソクラテスの弟子や後世の人々に対してのメッセージとも解釈できます。つまり、私たちは自分の運命を受け入れ、恐れることなく自分の道を進むべきだという教えです。生きることや死ぬことに対して執着するのではなく、より重要なのはどう生きるか、どう死を迎えるかという態度であることを示しています。

名声は英雄的行為の芳香なり

ソクラテス
ソクラテス
名声は英雄的行為の芳香なり。

ソクラテスは、名声を一種の「芳香(香り)」にたとえています。これは、名声が直接的な物理的存在ではなく、その行為から生じる目に見えない結果であることを意味しています。英雄的行為が行われると、その行為自体が周囲の人々に感銘を与え、その結果として名声が広がっていくのです。まるで、花が咲いてその香りが風に乗って広がるように、英雄的行為もまたその影響が広がっていくのです。この名言はまた、名声そのものが目的ではなく、結果であることを示しています。つまり、真の名声は自己利益を求めるのではなく、他者を助けるための純粋な行動から生まれるのです。ソクラテスは、名声を追い求めるのではなく、倫理的で崇高な行動を追求することの重要性を強調しています。そのような行動が自然と名声をもたらすというのが彼の考えです。さらに、この言葉は道徳的な教訓も含んでいます。名声を得るために表面的な行為をするのではなく、心からの善意や勇気を持って行動することの大切さを教えてくれます。本当の英雄的行為は、他者のためを思って行われるものであり、その結果として自然に名声がついてくるものだという考えです。

満足は自然の与える富である

ソクラテス
ソクラテス
満足は自然の与える富である。贅沢は人為的貧困である。

「満足は自然の与える富である」という部分は、人間が自然の中で基本的な欲求を満たすことが最も大切であり、それ自体が豊かさを感じるための鍵であるという考え方を示しています。たとえば、食べ物や住む場所、健康などの基本的なニーズが満たされているとき、人は自然と満足感を得ることができます。これは、人間の本来の状態に基づいた幸福感であり、持続的で安定した幸福感をもたらします。一方、「贅沢は人為的貧困である」という部分は、過度な物質的欲求や贅沢を追求することが、実際には人を不満足で貧しい状態に陥れることを意味しています。贅沢品や過剰な富を追い求めることは、常に新しい欲望を生み出し、その欲望が満たされない限り、満足感を得ることは難しくなります。結果的に、人は常に不足を感じ、精神的には貧しい状態に陥るのです。ソクラテスのこの名言は、現代社会にも多くの示唆を与えています。私たちは物質的な豊かさを追い求めるあまり、しばしば本当に必要なものや自然から得られる満足を見失いがちです。この言葉は、シンプルで自然な生活を大切にし、本当の意味での豊かさを追求することの重要性を教えてくれます。物質的な欲望を抑え、自分が持っているものに感謝し、満足することが、真の幸福への道であるとソクラテスは説いているのです。

とにかく結婚したまえ

ソクラテス
ソクラテス
とにかく結婚したまえ。良妻を持てば幸福になれるし、悪妻を持てば哲学者になれる。

まず、ソクラテスは結婚の重要性を強調しています。結婚は人間関係の中でも特に重要なものであり、結婚することで人はさまざまな経験を積むことができます。結婚生活は、喜びや幸せだけでなく、試練や困難も含まれています。次に、「良妻を持てば幸福になれる」という部分は、良い伴侶との結婚が生活を豊かにし、満足感をもたらすことを示しています。相互に支え合い、愛情を持って生活することで、結婚は個人の幸福に大きく寄与します。一方で、「悪妻を持てば哲学者になれる」という部分は、結婚が必ずしも楽なものではないことを示唆しています。困難な結婚生活は、しばしば個人を深い思索や内省へと導きます。問題や対立に直面することで、人は人生や人間関係について深く考え、学びます。ソクラテス自身が哲学者であり、その妻クサンティッペが気難しい性格で有名だったことから、彼の体験に基づいたユーモアが込められているとも考えられます。

討論が終わったとき、悪口は敗者の道具になる

ソクラテス
ソクラテス
討論が終わったとき、悪口は敗者の道具になるのだ。

具体的には、議論の中で理論や証拠を用いて説得することができなかった人が、最終的に感情的に相手を攻撃することで自分を守ろうとする状況を指しています。これは、議論の敗北を受け入れるのが難しいために生じる現象です。論理的に勝つことができなかったために、悪口や人身攻撃という「敗者の道具」を使うのです。こうした行動は、議論の本質を理解していないことを示しており、最終的には自身の弱さを露呈する結果となります。この名言は現代にも通じる普遍的な教訓です。インターネットやソーシャルメディアでの議論でも、理性的な対話を求めるよりも感情的な攻撃が目立つことがあります。ソクラテスの言葉は、そうした状況に対しても冷静に対処し、論理と証拠に基づいた議論を重視することの重要性を教えています。真の勝利は相手を打ち負かすことではなく、真実に近づくことだという点を忘れないようにするべきです。

友と敵とがなければならぬ

ソクラテス
ソクラテス
友と敵とがなければならぬ。友は忠言を、敵は警告を与う。

まず、友人について考えてみましょう。友人は私たちを支え、励まし、正しい道を示してくれる存在です。彼らは私たちの過ちを見逃さず、率直に指摘してくれることがあります。このような忠言は時に厳しく感じるかもしれませんが、真の友人からの助言は私たちがより良い人間になるための貴重なガイドです。友人の忠言は愛情や関心に基づいており、私たちの成長を願って行われます。一方で、敵の存在もまた重要です。敵はしばしば私たちに挑戦を与え、私たちが油断しないようにしてくれます。敵の警告や批判は、一見すると否定的に感じられるかもしれませんが、それらは私たちの弱点や欠点を浮き彫りにし、自己改善の機会を提供します。敵の存在は私たちを緊張させ、自己防衛のための警戒心を高めることで、より慎重で戦略的な思考を促します。このように、友人と敵の両方が私たちに異なる種類のフィードバックを提供し、それぞれが私たちの成長に寄与します。友人の忠言は私たちの内面的な成長を支え、敵の警告は外部からの挑戦に対処するための能力を養います。このバランスが取れた人間関係を通じて、私たちはより完全な自己に近づくことができるのです。

②「生き方」に関するソクラテスの名言15

われはアテネ人にあらず

ソクラテス
ソクラテス
われはアテネ人にあらず、ギリシア人にあらずして世界市民なり。
日本に住む日本人も、アメリカに住むアメリカ人も、インドに住むインド人も、それぞれがその国の領土の民であります。それと同時に地球に住む地球人であり、世界という領土の民でもあります。我々全人類は、自分の国を大切に扱うように、地球、世界に対しても優しく丁寧に接するべきでしょう。

父母に恩を感じないなら、汝の友となる者はいない

ソクラテス
ソクラテス
父母に恩を感じないなら、汝の友となる者はいないだろう。
普通、自分の父母ほどあなたに対して尽くしてくれる人はまずいません。最も感謝すべき人、つまり父母に対して感謝しないのであれば、どんな人に対しても感謝できない、敬意を払えないはずです。もしそんな誰にも恩を感じない人がいたのなら、好き好んで関わりを持とうとする人はいないでしょう。

人間に関することに安定などない

ソクラテス
ソクラテス
人間に関することに安定などないことを忘れてはならない。それゆえに、繁栄している時には過度の喜びを避け、逆境にある時には過度の落ち込みを避けなさい。
繁栄している時、つまり上手くいっている時には、油断をすることなく、自己満足感に浸ることなく、むしろ謙虚であるべきです。なぜなら、繁栄の時に過度な喜びを感じすぎると、自己満足感に浸り、将来の困難に対する準備を怠る可能性があるからです。対して、逆境にある時には、過度の落ち込みや絶望に陥ることなく、自分を取り巻く状況を客観的に見つめ、前向きな考え方を持つことが重要です。なぜなら、逆境の中で絶望に陥りすぎると、自己否定や挫折感に苛まれ、問題解決の能力を失いかねません。わたくし編集長が人生に置いて、最も大事にしている事は、「バランス」です。働きすぎ、働かなさすぎ、孤独すぎ、人に合わせすぎ、などなど、人はバランスが崩れると問題が発生します。良い時は謙虚に、悪い時はポジティブに。。

幼にして謙遜なれ

ソクラテス
ソクラテス
幼にして謙遜なれ。弱にして温和なれ、壮にして公正なれ。老いては慎重なれ。

この名言は、人生のさまざまな段階での賢明な生き方を示しています。幼い時期は、学びと成長が大切です。そんな幼い時期に謙虚であると、学びと成長がしやすくなり、良い結果をもたらします。弱い時に温和であること、この姿勢は、対立や紛争を避け、相互理解と協力を促進します。お金が無く、将来が不安な時期・人って、怒りやすくなり、トラブルが増えますよね。また、温和な態度は、人々を結びつけ、共通の利益を追求するための基盤を作ります。人と関わる事で、弱い時期から脱する可能性も高くなるでしょう。「壮年期に公正であること」、人生の間で最も活動的になるこの時期は、活動的であるからこそ、社会的に正しい事を行う事が求められます。そして、老年期には慎重であることが求められます。歳を重ねると、人生経験が多くなる事から、「自分が正しい!」と思い込み、いわゆる「老害」になってしまう人がいます。頭が凝り固まっているからこそ、大きな間違いを起こしやすいので、慎重な行動が求められます。

富は良心をもたらさない

ソクラテス
ソクラテス
富は良心をもたらさない。しかし良心は、富ばかりでなく、望まれるもの全てを、個人にも国家にももたらすのである。

多くの財産があるからといっても、その人が良い人になるかどうかは関係がありません。性格の悪い金持ちって沢山いますよね。しかし、良い人には人が集まり、お金が集まり、幸せが集まるという構造があります。誰だって悪人と関わりたくないですし、悪人にお金を払いたくないですし、悪人が幸せになって欲しいなんて思わないですよね。もしあなたが幸せになりたくて、長期的に動く覚悟があるのであれば、目先のお金に惑わされる事なく、いかに良心を身につけるかを考える方が良いでしょう。

人間の最大の幸福は、日ごとに徳について語りえること

ソクラテス
ソクラテス
人間の最大の幸福は、日ごとに徳について語りえることなり。魂なき生活は人間に値する生活にあらず。

徳、つまり社会通念上良いとされる事、についての議論を重ねることによって、真価の探究をする事ができ、それが人間に最大の幸福をもたらします。何が徳か、何が幸せかを理解、設定できない状態では、幸せにはなれませんよね。「魂なき生活」というのは、「ただ肉体的な欲求や快楽を追求するだけの生活」を指しています。このような生活は、欲求に操られているだけという事で、人間にふさわしい生活とは言えません。人間の存在は物質的な面だけではなく、精神的な豊かさや徳の追求も含まれます。徳について日々考え、議論することは、あなたの成長と幸福にとって必要不可欠な要素です。考える事が出来る「人間」として生きる事を忘れてはいけません。

ねたみは魂の腐敗である

ソクラテス
ソクラテス
ねたみは魂の腐敗である。

ねたみとは、他者の成功や幸福に嫉妬する感情で、ねたみは自己成長や心の健康に悪影響を及ぼします。「魂の腐敗」と表現されているのは、ねたみが心の浄化を妨げるからでしょう。さらに、ねたみは他者との関係にも悪影響を及ぼします。ねたみが支配的な感情となると、人は他者とのつながりや共感を失い、孤立感や不満を抱くことがあります。したがって、ねたみは個人の心のみならず、社会全体の健康にも影響を及ぼします。ねたみは、悪影響をもたらすばかりで良い影響はありません。他人の成功を妬むのではなく、自己実現のための目標にしたり、参考にする、という姿勢にしましょう。健全に生きるのです。

財産や名誉を得る事のみ執心

ソクラテス
ソクラテス
財産や名誉を得る事のみ執心し、己の魂を善くする事に努めないのを恥とは思わないのか。

財産や名誉は自身の欲求を満足させるのに、有効です。しかし、財産や名誉を獲得するには、少なからず、誰かの利益を奪い、誰かを踏み台にして、のし上がる事という構造も必要になります。どれだけ正直に真っ直ぐやってもそのような良くない事をしてしまうなら、己の魂が腐らないように努力をしなければ、人が人でなくなります。ましてや、大勢に多大な悪影響を及ぼすビジネスをするのは、自分自身の魂を自ら腐らせるようなものです。財産を得る事にのみ固執していると、短期的な利益は得られるかもしれません。しかし、自身の正義感や周囲の評価を失うと、長続きせず、長期的には損してしまうでしょう。稼げればそれで良いのか?よく考えてみましょう。

人間の美徳はすべてその実践と経験によって

ソクラテス
ソクラテス
人間の美徳はすべてその実践と経験によっておのずと増え、強まるのである。

美徳とは、「道徳にかなった立派な行い」の事。で、道徳とは、「善悪をわきまえて行動するための規範」です。つまり、「人間の美徳」を体現するには、「やるべき善い事、やるべきでない悪い事」を理解、判断する事が必要になります。しかし、「良い事、悪い事」というのは非常に判断が難しいです。こういう場合、こういう人にとっては、こういう場面、こういう国(場所)では、などなど、状況によって、「良い、悪い」は変わってきますよね。なので、善い事、悪い事というのは、一筋縄ではいきません。しかし、沢山の経験をすればするほどに善悪の判断材料がたまり、正しい見方が出来るようになります。「美徳」なんて言われると、少々難しい感じがしますが、人生を良く、上手く生きていくためには結構大事なポイントなので、一度よく考えてみましょう。

よりよく生きる道を探し続けること

ソクラテス
ソクラテス
よりよく生きる道を探し続けることが、最高の人生を生きることだ。
ソクラテス
ソクラテス
一番大切なことは、単に生きることではなく、善く生きることである。

美味しい料理を作るにも、素敵な彼氏彼女を手に入れるにも、ベストな職場を探すにも試行錯誤が必要です。それと同じように、最高の人生を手に入れる為にも、試行錯誤が必要です。「自分にとってこれが最高の人生だ!」と思っても、実際に手に入れるのは不可能だったり、手に入れたとしても最高じゃなかった、間違っていたなんていう場合もあるでしょう。その度に、「こうしたら最高の人生になるんじゃね?」をトライしていけば、いつかは自分にとっての最高の人生が何か理解でき、手に入れることが出来るでしょう。物事に失敗する人のパターンに「失敗したくない」と思う人がいますが、失敗を経験しないと、成功するのはまず不可能です。最高の人生を手に入れたいのであれば、トライアンドエラーを繰り返しましょう。

何人たりとも、不正に報いてはならない

ソクラテス
ソクラテス
何人たりとも、不正に報いてはならない。

例えば、誰かがあなたを裏切ったり、悪意を持って攻撃してきたとしても、同じように仕返しをするのではなく、公正であり続けることが重要だとソクラテスは説いています。彼の考えでは、不正に対して不正で報いることは、社会全体の道徳的基盤を崩し、個人の品位や倫理観を低下させる結果になるからです。また、この考えはキリスト教や仏教を含む多くの宗教や哲学にも共通するもので、黄金律(「他人にしてほしいことを、自分も他人に対して行うべき」という教え)と似た倫理観を示しています。ソクラテスの教えは、個人の行動が社会全体に与える影響を深く考え、どのような状況においても正義と公正を貫くことが、真の道徳的行動であることを教えているのです。

吟味されざる生に、生きる価値なし

ソクラテス
ソクラテス
吟味されざる生に、生きる価値なし。

まず、「吟味されざる生」というのは、日常の出来事や自分の信念を深く考えることなく、ただ流されるままに生きることを指します。ソクラテスは、そうした生き方では本当の意味での幸福や充実感を得ることはできないと考えました。なぜなら、自分の行動や信念を省みない限り、人は自分が何をしているのか、なぜそれをしているのかを理解できず、したがって自分の人生をコントロールすることができないからです。また、「生きる価値なし」という部分は、自己反省や自己吟味を怠ることが、人間としての本質的な成長や発展を妨げるという意味です。ソクラテスにとって、知識の追求や自己改善の努力こそが人生の意味を与えるものであり、それを怠ることは、人間としての本来の価値を失うことに等しいとされました。この考え方は、現代にも通じる普遍的な価値観です。現代社会においても、自分の行動や信念を見つめ直し、改善し続けることは、個人の成長や社会の発展にとって欠かせないものです。自己反省を通じて、自分の生き方や選択が本当に正しいのかを問い続けることで、より豊かな人生を送ることができるでしょう。

わたしは最小限の欲望しかもたない

ソクラテス
ソクラテス
わたしは最小限の欲望しかもたない、したがって、わたしは神にもっとも近い。

まず、「最小限の欲望しかもたない」という部分は、ソクラテスが物質的な富や世俗的な快楽に対して執着しないことを意味しています。彼は、過度な欲望や物質的な欲求が人間の心を乱し、真理を追求する妨げになると考えていました。そのため、欲望を最小限に抑えることで、精神的な清らかさと平穏を保つことができると信じていたのです。次に、「わたしは神にもっとも近い」という部分は、ソクラテスが精神的な向上を目指す人間の理想像を描いています。ギリシャの神々は、完全な存在とされ、無欲で純粋な精神を持っていると考えられていました。ソクラテスは、自身の欲望を制御し、理性と知識を追求することで、人間も神々に近づくことができると信じていました。彼にとって、神に近づくとは、道徳的・精神的に高い状態に達することを意味します。この名言はまた、現代においても多くの教訓を含んでいます。物質主義が蔓延する現代社会では、過度な欲望や消費がしばしばストレスや不幸の原因となります。ソクラテスの教えに従い、欲望を抑え、内面的な充実を追求することが、真の幸福に繋がるかもしれません。

死ぬことと、自分の信念とどちらが大事か!

ソクラテス
ソクラテス
死ぬことと、自分の信念とどちらが大事か!

ソクラテスは、生涯を通じて「無知の知」を追求し、人々に対して自己反省と真理の探求を促しました。彼は物質的な快楽や世間の評判よりも、倫理的な生き方や真実を追求することが重要であると信じていました。このため、彼は自分の信念を貫くためには、死すら恐れない姿勢を示しました。アテナイの裁判では、ソクラテスは若者を堕落させた罪や神々を信じない罪で告発されましたが、彼は自己弁護の中で、自らの哲学的探求の正当性を主張しました。彼にとって重要なのは、社会の圧力や死刑の脅威に屈して信念を捨てることよりも、真理を追求し続けることでした。この名言は、信念と倫理的な生き方の重要性を強調しています。ソクラテスは、自分の信念を守ることが、どんなに高い代償を払ってでも価値があると考えました。この教えは、現代においても自己の信念を貫くことの大切さを考えさせられます。たとえ逆境や困難に直面しても、自分の信念を守ることが、自らの生き方や人生の価値を高めるのです。

③「努力」に関するソクラテスの名言6

本は著者がとても苦労して身に付けたことを、たやすく手に入れさせてくれる

ソクラテス
ソクラテス
本をよく読むことで自分を成長させていきなさい。本は著者がとても苦労して身に付けたことを、たやすく手に入れさせてくれるのだ。

本というのは、著者の数十年分の人生経験が詰まっているので、本を読めば、自分自身で直接経験するよりも、何百倍、何千倍も効率良く教訓を吸収できます。言い換えると、一冊の本を読むには数時間で済むので、数百、数千もの人々の人生経験、深い知識を得る事も現実的に可能です。とはいえ、優秀な人を除いて、普通の人は、知識だけでは、身につかない場合も多いので、実際に経験する事も必要でしょう。

汝自らを知れ

ソクラテス
ソクラテス
汝自らを知れ。

「何か実現したい事がある」でも、「とにかく幸せになりたい」でも、「何をするべきかわからない」でも、全ての希望、悩みにおいて当てはまるのが、「自分を正しく認識する事が大切」ということです。例えば、世界平和を実現したい、と思ったら、今の自分はどの位置にいて、何が得意で何が苦手なのか、どれくらいの影響力があるのか、を正しく理解するからこそ、正しい戦略をねる事が出来るからこそ、目標を達成出来るハズです。また、「幸せになりたい」も、自分にとって何が幸せなのか、どういう状態なら幸せと言えるのか、など、自分を正しく認識する事は欠かせません。自分を理解しない限り、何事も上手くいきません。

良い本を読まない人は、字の読めない人と等しい

ソクラテス
ソクラテス
良い本を読まない人は、字の読めない人と等しい。

人生を良く生きるには、なるべく沢山のなるべく質の良い情報を手に入れる事、がかなり大きく影響します。知識、情報が多い人は、行動の選択肢が多いので、都度起こる出来事に最善の対応が出来る可能性が高いですが、知識が少ない人は、起こる出来事に対して間違った対応をする確率が高くなりますよね。なので、幸せになるには、良い人生にするには、知識、情報の質や量に大きく左右されます。で、「字の読めない人」は、良い情報を収集できません。という事は、良い人生を送る事ができる可能性は低いと言えます。また、字が読めたとしても、良い本を読まない人も、良い情報が収集出来ないので、良い人生にするのは難しいでしょう。ちなみに、ソクラテス先生が生きていた頃の名言なので、この名言では、「本」に限定されていますが、現代では、ネットでも同じ事が言えるでしょう。とはいえ、本もネットも、良い情報もあれば、質の低い情報もあるので、その見極めができるようになる必要があるでしょう。

世界を動かそうと思ったら、まず自分自身を動かせ

ソクラテス
ソクラテス
世界を動かそうと思ったら、まず自分自身を動かせ。

人を動かす、変える、というのは非常に難しいです。人はそれぞれ自分の人生で経験した事の集大成として、あれが正しい、これが正しい、と判断しているので、人は皆、「自分は正しい」と思ってしまうという構造があります。なので、世界、社会という規模で考えても、「これが正しい!」という道徳観から今の状態になっているわけですから、もし世界を動かしたい、変えたいのであれば、人類10万年の成果である「今の正しい」を変える必要があるという事になります。そんな難しい事をするのであれば、説得力を持たせるために自分自身も変える必要がありますよね。例えば、環境に良い行動をしよう、と言っていながら、自分は自動車を使って排気ガスを出し、プラスチックをポイ捨てして海を汚す、なんて事してたら誰もついてこないですよね。子供は親の背中、行動を見て育つように、他人もあなたの行動を見ています。

少量をうまくやる方が、大量にまずくやるよりもよい

ソクラテス
ソクラテス
少量をうまくやる方が、大量にまずくやるよりもよい。

ソクラテスは「うまくやる、まずくやる」と言っているので、アウトプットの話をしているのでしょう。大抵の場合、特にアウトプットに関して言えば、「量より質」が正しい場合が多いです。特に現代のような、誰でも簡単にビジネスができる時代は、ライバルが沢山います。それらのライバルに勝つ為には、差別化するためには、質は絶対条件になります。また、質をないがしろにすると、やり直す場合ゼロからやり直す必要がありますが、量を二の次にした場合は、努力が無駄になる事はありません。

私が知っているのは、自分が何も知らないということだけ

ソクラテス
ソクラテス
私が知っているのは、自分が何も知らないということだけだ。

まず、ソクラテスは、「自分は全てを知っている」と主張することの危険性を認識していました。知識を持っていると思い込むことで、学ぶ姿勢や新しい情報を受け入れる心が閉ざされてしまうことがあります。ソクラテスは、自らを無知と認識することで、常に学び続ける姿勢を持ち続けることができると考えました。また、この言葉は、他者との対話や議論を通じて真実に近づく方法論を示しています。ソクラテスは対話法を用いて、人々に自分の無知を認識させ、さらに深い理解を追求するよう促しました。彼にとって、知識とは絶対的なものではなく、常に問い直し、検証し続けるものであるとされました。さらに、この名言は、謙虚さと自己反省の重要性を説いています。自分が無知であることを認めることは、知恵を深めるための第一歩です。これは、傲慢や自己満足に陥ることなく、他者から学び続ける態度を育むための教えでもあります。

④「対人関係」に関するソクラテスの名言7

間違いを指摘してくれる人こそ信頼できる

ソクラテス
ソクラテス
あなたのあらゆる言動を誉める人は信頼するに値しない。間違いを指摘してくれる人こそ信頼できる。

実は表面上優しい人の本質は、優しくなく、表面上厳しい人の本質は、優しい、という構造があります。例えば、仕事ができない部下に対して優しい対応をする上司は、(部下が)仕事が出来ないままでいる事を良しとしているので、本質的には優しくありません。また、厳しく指導する上司は部下の人生にとってタメになる行動をしている事から本質は優しいと言えます。このようにあなたの行動や特徴に対して、誉めるとか、そのままでいる事を許容する人は本質的にあなたにとって良くない事をしていると言えます。対して、間違いを指摘してくれる人は本質的にあなたの為になる行動をしてくれているので信頼出来る人であると言えます。

他人からされたら怒るようなことを人にしてはいけない

ソクラテス
ソクラテス
他人からされたら怒るようなことを人にしてはいけない。

小学校の教室にクラス目標として掲示されていそうな教訓ですが、出来ていない大人、結構いますよね。これが出来ない人はいわゆる「モンスター」というレッテルを貼られる事になるでしょう。残念ながら、モンスター的な行動をしてしまう人は、往々にして「自分は悪くない、相手が悪い」と思っている場合が多いでしょうから、なかなか自分で是正する事は難しいように思います。なので、そんなバカたちを是正しようとは思わないのが、賢明です。あなた自身が「他人からされたら怒るようなことをしないようにする」のは、もちろんですが、もしされた場合の、納得の仕方を考えておくと良いでしょう。

嘘はいつまでも続かない

ソクラテス
ソクラテス
嘘はいつまでも続かない。

ひとつ嘘をつくと、その嘘に整合性を与えるために、①嘘をおぼえておく②新たな嘘をつく、という2つの条件が必要になります。嘘をつき続けて、これを延々と繰り返すと、嘘だらけになり、終いには人の記憶には限界があるので、嘘を覚えきれなくなり、その嘘はバレてしまいます。世の中には、良い嘘、悪い嘘がありますが、たとえ良い嘘だとしても、それなりの覚悟が必要になります。

子供は、生まれたその日から、厳しくしつけなければならない

ソクラテス
ソクラテス
子供は、生まれたその日から、厳しくしつけなければならないものだ。

この言葉は、単に厳しいしつけを推奨するものではなく、むしろ子供の成長過程における一貫した指導の必要性を示しています。子供は成長する中で多くのことを学びますが、その学びの基盤は早期の教育に依存します。ソクラテスは、子供が幼い頃から正しい価値観や倫理観を身につけることが、将来的に社会の一員として健全な人間に育つために不可欠であると考えました。具体的には、規律や道徳、他人への配慮、自己管理の能力などを幼少期から教えることが重要です。例えば、ルールを守ることや他人を尊重する態度は、早い段階でのしつけがあってこそ身に付くものです。これらの基本的な価値観や行動規範は、大人になってからではなく、子供の柔軟な心と理解力が高い時期に教え込むことが最も効果的です。さらに、ソクラテスのこの考えは、単に規律を押し付けるだけでなく、子供に対する愛情と理解を伴ったしつけを意味します。厳しさと共に、子供の個性や才能を尊重し、励ましながら成長を見守ることが求められます。

良い評判を得る方法は、自分自身が望む姿になるよう努力することだ

ソクラテス
ソクラテス
良い評判を得る方法は、自分自身が望む姿になるよう努力することだ。

多くの人は、他人に良い印象を与えるために外見や言動を飾ろうとします。しかし、ソクラテスは、そうした表面的な取り繕いではなく、本質的な自己成長が重要だと説いています。つまり、外面的な評価を求めるのではなく、自分自身の理想像に近づくための努力を重ねることで、自然と他人からの評価もついてくるという考え方です。具体的には、誠実であること、正直であること、自分の言動に責任を持つことなどが挙げられます。これらは一時的な装いではなく、日々の努力によって身につけられる特質です。自分が本当に望む姿に向かって努力することで、その姿はやがて周囲にも伝わり、結果として良い評判が形成されるというわけです。

いかなる財宝とくらべようとも、良友にまさるものはない

ソクラテス
ソクラテス
いかなる財宝とくらべようとも、良友にまさるものはないではないか。

物質的な財産は、一時的な満足感を与えるかもしれませんが、それが永続的な幸福をもたらすとは限りません。財産は失われることもあり、人間関係の温もりや支えを提供することはできません。一方、良友は困難な時に支えとなり、喜びを分かち合い、人生の様々な場面で心の安らぎを与えてくれます。友人との絆は深く、相互の信頼や理解によって強固になります。また、ソクラテスの言葉は、友人関係が精神的な成長や人格形成において重要な役割を果たすことも示唆しています。良友は、互いに刺激し合い、より高い目標に向かって成長する助けとなる存在です。彼らは誠実なフィードバックを提供し、私たちが自己を省みる機会を与えてくれます。

富をどんなふうに使うかが判るまで、彼をほめてはいけない

ソクラテス
ソクラテス
金持ちがどんなにその富を自慢しているとしても、彼がその富をどんなふうに使うかが判るまで、彼をほめてはいけない。

まず、ソクラテスは富そのものに価値を見出しているのではなく、富をどのように活用するかが重要だと考えました。富は善にも悪にも利用できる道具に過ぎず、その使い方次第で人間の品格や価値が判断されるというわけです。例えば、得た富を自己の快楽や贅沢にのみ使うのではなく、他人を助けるためや社会のために使うことが、真の価値を示す行為だとされています。また、ソクラテスのこの名言は人間の評価についての慎重さも促しています。表面的な富や成功だけで人を評価するのではなく、その人の行動や使い方を観察し、その人物の本質を見極めるべきだという教えです。これにより、見かけに惑わされず、本当に尊敬すべき人物を見分けることができるのです。つまり、富を誇示すること自体には何の意味もなく、それをいかに有意義に使うかによって、その人の人間性や徳が問われるということです。ソクラテスの名言は、単なる成功や富を超えた、より深い人間の価値観について私たちに考えさせるきっかけを与えてくれるのです。