マツコ・デラックスのプロフィール
1972年10月26日生まれ/51歳/身長:175 cm/血液型A型/千葉県千葉市稲毛区出身/職業:コラムニスト、エッセイスト、タレント/所属事務所:ナチュラルエイト/代表番組:5時に夢中!、月曜から夜ふかし、マツコの知らない世界、マツコ&有吉 かりそめ天国、など
①「真実・真価」に関するマツコ・デラックスの名言13
自分が幸せかどうかは、自分で決めるしかない
「幸せ」というのは非常に曖昧なものです。歴史的な賢者である高名な哲学者たちでさえ、「幸せとはなにか?」という問いの答えは人それぞれ違っています。それくらい幸せは、「人による」ものです。例えば、一般的に見下されるニートなんかは「やりたくない事をやらなくていい状態」という点で言えば、かなり幸せな人たちでしょう。また、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの研究によると、「頭が良い(IQが高い)人ほど、友達が少ないほうが幸せになる。」という事がわかっているそうです。このように、人によって、考え方によって、優先順位によって、同じ状況・状態でも、幸せor不幸せというのは違ってきます。つまり、幸せというのは、自分で決める・設定するしかないのです。
ダメだよ、何でも真実を探求したら
基本的には、真実を追求すると、物事の本質が見えてきて、正しい受け止め方や正しい対応をとる事ができ、良い結果になります。しかし、全てにおいてこれが当てはまる訳ではありません。例えば、こんなトリビアがあります。「エビの尻尾とゴキブリの羽根は全く同じ成分でできている。」この真実、皆さん知りたくなかったですよね(笑)。このように真実を探究した結果、知りたくなかった事も知ってしまい、不幸に感じる事もあるのです。
ホントの事言うっていうのは優しい
本人には耳が痛い事、つまり本当の事を言う、というのは「本当は優しさに溢れる優しい行動である」という事だったりします。例えば、仕事ができない部下とその上司が居るとします。この部下に対して上司が「こんなこともできないのか、なぜ上手く出来ないのかちゃんと考えてみろ!これが出来るまで他の仕事はするな!」など、厳しい対応をした場合、表面上は厳しい優しくない上司に見えるでしょう。しかし、仕事ができない部下にちゃんと向き合い、仕事ができる人間に育てるために上司も尽力をしている、という面では、「優しさに溢れるが故の行動」と言えます。逆に言うと、当たり障りの無い事を言って面倒な事をやらない人は、本質的には冷たい人であるとも言えます。
知らない方がイイ事だらけよ、人生なんて
何年も前に怒り新党でマツコ自身がこんな話をしていました。マツコが電車の切符を買うために列に並んでいたところ、前に並んでいたカップルが自分たちが買う番になってから、「どこ行こうか〜」と行き先を決め始めたそうです。これに対してマツコは当然ながら、「そんなの並んでる時に決めておけよ!」と思ったそうです。そんな非常識な行動、他人をイラつかせるのは当たり前ですよね。笑しかし、カップル達からすれば、「自分たちが他人をイラつかせている」という事実に気付いていないという点に注目すれば、そのカップルは「無知が故に幸せである」と言えます。このように、何かを知っている、気付いているが故に不幸になる事も人生では起こりうるのです。
己を知ることは重要よ
「己を知らないがゆえに不都合が起こる」というのは、おそらく全ての人間が経験するでしょう。己を知らない事で起きる悪い事。例えば、自分の男性(女性)としての価値を見誤り、身の丈に合わないハイスペックな異性を結婚相手に求める。その結果、いつまで経っても結婚できない人が出来上がる。というのは、皆さんも見た事があるでしょう。また、仕事選びに関しても、自分の得意・不得意、好き・嫌いを理解しているかどうかで、自分に合った良い仕事に就けるかどうかは大きく左右されます。己を知る事は、人生においてもかなりの重要な事です。一度じっくり考えてみては?
毎日笑いが起きてる家庭なんてこの世に一軒もない
家庭という場は、多くの人々が集まり、日々の生活を共にする場所です。その中で全ての人が常に笑顔でいることは現実的ではありません。人々は様々な感情を持ち、時には対立や摩擦が生じることもあります。それは自然なことであり、むしろ健全なことです。完璧な家庭を追い求めることで、かえってストレスやプレッシャーを感じることになりかねません。また、この名言は「不完全であること」を肯定しています。日々の生活には良い日もあれば悪い日もあり、そのすべてが人生の一部です。完璧を求めるのではなく、ありのままの家庭を受け入れ、お互いに支え合うことが大切です。つまり、家庭の中で起きる様々な出来事を通じて成長し、絆を深めることが本当の幸せに繋がるというメッセージを伝えているのです。結論として、マツコ・デラックスの名言は、理想と現実のバランスを取りながら、現実的でありのままの家庭を大切にすることの重要性を教えてくれます。完璧さを追い求めるのではなく、お互いの欠点や問題を受け入れ、共に笑い、時には泣きながらも支え合う家庭こそが本当の意味で幸せな家庭であるという深い洞察が込められています。
勉強さえしてれば、幸せになれるのかしら?
まず、「勉強さえしてれば、幸せになれるのかしら?」という問いかけは、勉強が全てではないことを示唆しています。どれだけ勉強を頑張っても、それが直接幸せに繋がるわけではないという考え方ですね。たとえば、良い成績や高い学歴を得ても、それが本人の望む人生や心の満足を保証するわけではありません。次に、「将来をちゃんと考えているかが重要よ」という部分は、人生の全体像を見据えることの重要性を強調しています。勉強だけでなく、自分の将来について深く考え、何をしたいのか、どう生きたいのかを明確にすることが大切です。これには自分の価値観、興味、目標などを理解することが含まれます。要するに、マツコの言葉は、単に勉強に専念するだけでなく、広い視野を持ち、自分自身の人生設計をしっかりと考えることが本当の幸せに繋がるというメッセージを伝えています。勉強はその一部であり、それを通じて自分の将来をどのように描くかが重要なのです。この名言は、若者に対して、自分の人生を主体的に考えることの大切さを教えてくれるものです。
誰ひとりいらない人はいない、この世の中に
現代社会では、成功や能力によって人の価値が測られることが多く、特定のスキルや成果を持たない人が軽視されがちです。しかし、マツコ・デラックスの言葉は、そのような評価基準を超えて、すべての人が固有の重要性を持つことを認識する必要性を訴えています。例えば、家庭内でのサポート、地域社会での小さな貢献、あるいは単に存在することで周囲に与える影響など、多様な形での貢献が考えられます。この名言はまた、個々の違いや多様性を尊重し合うことの大切さをも示唆しています。異なる背景や能力を持つ人々が協力し合うことで、社会全体が豊かになり、誰もが自分の居場所を見つけられるようになります。このような視点は、互いに支え合う社会の形成において不可欠です。結局、この名言は、他者を否定することなく、すべての人の存在を肯定し、認め合う姿勢を持つことの重要性を教えてくれます。それぞれの人が持つ価値を見つめ直し、尊重することで、より良い社会を築くための一歩となるのです。
視野を拡げるってね、どんな状況にあっても知りたいと
この言葉では、「視野を広げるための第一歩」として「知りたいと思うこと」の重要性を強調しています。視野を広げるとは、単に新しい情報や経験を得るだけではなく、その情報や経験に対する強い興味や探求心が必要だということです。知りたいという気持ちがなければ、どんなに多くの情報を得てもそれが自分の視野を広げることには繋がりません。例えば、異なる文化や考え方に触れることが視野を広げる手段と考えられますが、それに対する興味や疑問がなければ、ただ表面的に情報を集めるだけになってしまいます。自分が知りたいと思うことから始めることで、情報や経験がより深く理解でき、結果として本当の意味で視野が広がるのです。さらに、この名言は、環境や状況がどんなに変わっても、基本的な姿勢や心の持ちようが変わらなければ意味がないということを示唆しています。どこにいようが何をしていようが、視野を広げるためには自分自身の内面的な動機付けが不可欠です。つまり、環境を変えるだけではなく、自分の意識や興味を持つことが視野を広げる鍵だと述べています。このように、視野を広げるためには自発的な探求心と意識的な取り組みが必要であるとマツコは教えています。彼の言葉は、私たちに新しいことを学ぶ際の心構えを改めて考えさせるきっかけを与えてくれます。
カリスマ主婦ってさ、主婦じゃないじゃん
まず、「カリスマ主婦」という言葉は、メディアや社会で取り上げられる主婦の中で特に優れた存在とされる人を指します。これらの人々は料理、掃除、育児などの面で非常に高いスキルを持ち、華やかな生活を送っているように見えます。しかし、マツコ・デラックスはこの概念に異議を唱えています。マツコの言葉によれば、メディアで取り上げられるような「カリスマ主婦」は、実際の主婦の現実とはかけ離れているというのです。真のカリスマ主婦とは、毎日の生活で実際に苦労しながらも家族のために奮闘している人たちを指すべきだと述べています。具体的には、「自転車の前と後ろに子供乗っけて大根持ってガーっみたいな」といった情景を描写することで、日常生活での現実的な苦労と努力を強調しています。子供を育てながら、買い物や家事をこなし、家庭を支えるために全力で動き回る姿こそが、本当の意味での「カリスマ主婦」であると指摘しています。この名言は、表面的な評価や華やかなイメージに惑わされず、実際に地道な努力をしている人々に光を当てるべきだというメッセージを込めています。マツコは、真の価値を見極める重要性をこの一言で訴えかけています。
おんなじことをしても美人がやるのとブスがやるのとで
この名言は、人々の外見に対する偏見や先入観を示しています。この言葉は、同じ行動や言動でも、それをする人の外見によって周囲の反応が大きく異なることを指摘しています。例えば、ある女性がジョークを言った時、美人であれば「面白い」と評価されるかもしれませんが、外見が劣ると見なされる女性が同じジョークを言った場合、同じ評価を受けない可能性があります。この現象は、社会における外見至上主義や美の基準に深く根ざしています。多くの人は無意識のうちに外見に基づいて他人を評価し、行動や発言の価値を判断します。これは、メディアや広告が美しい外見を強調することで助長されることが多く、結果として外見が人間関係や社会的評価に大きな影響を与えることになります。さらに、この名言は外見に関する社会的な期待やプレッシャーをも示しています。美人とされる人々は、しばしば高い評価や特別な扱いを受ける一方で、外見が平均的またはそれ以下と見なされる人々は、同じ行動をしてもその価値が認められにくい状況に置かれがちです。この不公平な現実を認識することは、外見に囚われず人々を公正に評価することの重要性を考えるきっかけとなります。
おのずと道は開かれる
まず「おのずと」とは「自然に」「自ずから」という意味で、努力や工夫を重ねることで「自然に状況が改善される」ということを示しています。この言葉は、日々の努力や積み重ねが重要であることを強調しています。何事も簡単には達成できないかもしれませんが、諦めずに取り組むことで、いつか成果が現れるというメッセージが込められています。「道は開かれる」という表現は、未来への可能性や希望を象徴しています。人生には困難や試練がつきものですが、その中で自分自身を信じて進んでいけば、必ず新たな道が見えてくるという意味です。特に、不確実な状況や困難な時期において、この言葉は大きな励みとなります。この名言は、何かに挑戦しようとしている人や、現在困難に直面している人に対して、大きな勇気と希望を与えるものです。人生の中で道に迷うことがあっても、自分を信じて努力を続ければ、自然と新たな道が見つかるというメッセージは、多くの人にとって心強いものとなるでしょう。
②「生き方」に関するマツコ・デラックスの名言9
意地張って生きて何が悪い
「意地を張る」というのは、「自分の考えをどこまでも通そうとする」という意味です。という事は言い換えると、「協調性が無い」ということになりますね。協調性が無いと発生するデメリットももちろんありますが、実は決して悪い事ばかりではありません。協調性が無く、自分が正しいと信じた事をやり続ける人は、ある種いい意味で「非常識」なので、新しいサービスやモノ、価値を生み出す可能性が高いです。逆にいうと、他人に流されやすい協調性があるタイプの人は平凡な成果しかあげられない場合が多いです。
完璧な幸福の下に生きてる人なんていない
「ものすごく幸せそうな人」といえば、誰でしょうか?例えば、天皇家の人達は幸せそうですよね。彼らは、お金の心配が無いし、周りの人たちから丁寧に扱われ、働かなくてもどんどん貯金は増えていくしで、一般的には幸せそうに見えます。しかし、彼らにも大変さ、ツラさは沢山あります。勉強にしろ仕事にしろ優秀な結果を出す事を求められるし、人前で不機嫌な態度をとる事も悪口や下ネタを言う事も出来ない、外に出れば人目を感じるなんていうかなりキツい事も多いです。つまり、どんな人にも、幸せも不幸せもあり、また、考え方によっても幸せ不幸せは変化します。つまり、「完璧な幸せなんてない」という事になりますね。
四の五の言わずに生活していかなきゃいけない
人として生命を維持し続ける以上、寝て、食べて、くそして、息しなければいけません。で、これら最低限の生命維持をし続けるためには、働いて、家事をして、風呂に入る、などの生活をする事になります。いくら「面倒くせぇ〜」と思っても、生きるためには、面倒な事は避けられません。
常に新しいことをし続けてないと人間ってダメになっちゃう
たとえ毎日一生懸命働いているひとでも、同じ毎日を淡々にこなすだけでは、「成長」が出来ません。しかし、体力的には日々老化しますし、お金も必ず減りますから、成長しないと人としての価値は下がる一方です。価値が少しづつ下がるの末路は人としてダメになるに行き着きます。少しづつでもいいから今までと違う事に挑戦してみましょう。
鈍感であることって大事じゃない?
社会で生きていると、嫌な事というのは必ず発生します。相手に悪意があろうがなかろうが、心を乱される事は何度もあるでしょう。そんな嫌な出来事を全て受け止めてしまうと、心が保ちません。なので、できる限り嫌な事に気付かない、つまり鈍感である事はかなり大切な事です。優しい人ほど敏感で周りがよく見えてしまったりします。「意識的に周りを見ない」というのも必要かもしれませんよ。
生きる事は、辛いことの連続です
人生において、辛いことや苦しい状況は避けられません。しかし、そうした困難があるからこそ、成長や自己理解が深まり、人生の喜びや達成感も一層大きく感じられるのです。マツコは、辛いことを避けるのではなく、それを一部として受け入れ、共に歩んでいくことが大切であると伝えています。さらに、この言葉は、辛い状況に対する耐性や回復力を育むことの必要性も示唆しています。困難に直面するたびにそれを克服することで、人はより強く、より成熟した存在となります。したがって、「生きる事は、辛いことの連続です。」という言葉は、人生のリアルな側面を直視し、それに対処する力を養うことの重要性を教えているのです。この名言は、単にネガティブな現実を強調するものではなく、むしろ現実を受け入れ、それをどう乗り越えるかを考えるきっかけを与えるものです。結果として、この姿勢は自己成長や人生の豊かさを追求するための力強いメッセージとなっています。
人生ってそんなに面白いことない
この名言は、人生の「普通さ」を受け入れることの大切さを教えてくれます。日々の小さな喜びや達成感、何気ない会話や日常のルーチンの中にこそ、真の幸せや満足感を見つけることができるというメッセージが込められているのです。また、人生の面白さや価値は、自分の視点や心の持ちに大きく依存しています。平凡な日常の中にも、興味を持ち、自分なりの楽しみ方を見つけることで、充実感を得ることができます。つまり、人生をどう感じるかは、自分次第なのです。
自分の幸せに限界があることに気づいた
私たちの社会では、幸せを追求することが重要視され、常にもっと多くの幸福を求めるように促されます。しかし、現実には、幸せは無限に増やせるものではありません。私たちの幸福感は、生活環境や心理的な状態、社会的なつながりなど、さまざまな要因に左右されますが、それには限界があります。マツコ・デラックスの言葉は、この限界を認識することの重要性を強調しています。私たちが幸せに限界があることを認めることで、不必要なプレッシャーやストレスを減らすことができ、自分の現状を受け入れる力が養われます。これは自己肯定感を高め、現実的な期待を持つことにつながります。また、幸せの限界を認識することで、他者との比較から解放され、自分にとっての本当の幸せが何であるかを見つめ直すことができるようになります。これにより、自己成長や内面的な充実感を得る手助けとなるでしょう。
もっといろんな人に感謝して生きよ
この名言は、日常の中で他人から受ける支えや影響に対して感謝の気持ちを持つことの大切さが強調しています。感謝の気持ちは、自分自身の幸福感を高めるだけでなく、周囲との関係を良好に保つための基本です。感謝を忘れないことで、より豊かな人間関係を築くことができ、結果として自分自身の人生も充実したものになります。また、この名言は、自分の視点を広げることの重要性も教えてくれます。日常の忙しさやストレスに追われる中で、自分の周囲にどれだけ多くの人々が関わってくれているかを見逃しがちです。マツコ・デラックスの言葉は、立ち止まって他人の存在とその貢献に目を向け、感謝の気持ちを表すことの大切さを再認識させてくれます。総じて、この名言は、感謝の心を持って生きることが、より良い人生を築くための鍵であることを教えてくれるものです。普段の生活で小さなことに対しても感謝の気持ちを持ち続けることで、心の豊かさや人間関係の質が向上することを示しています。
③「努力」に関するマツコ・デラックスの名言4
ありのままでいいっていう風潮は良くない
「ありのままでいい」イコール「成長しなくてもいい」という風に考えられます。「成長しなくても良い」が正しい、としてしまうと、人は学ぶ事をやめ、考える事をやめ、努力する事をやめてもOKという事になります。そうすると、なかなかひどい世界になる事は誰でもわかるでしょう。ありのままでいい、と甘えていると、結局本人の人生がキツくなります。ケースバイケースではありますが、「ありのまま」は、ほどほどに。
頑張ってればいいっていう風潮はよくない
わたくし編集長はよく「努力」を「歩く事」に例えます。今の自分=現在地、目標=目的地、目標達成の方法=ルート設定、スピード感=歩く速さ。もし、「頑張ってさえいればいい」が正しいとすると、現在地も目的地もルートもわかっていないで、ただ「散歩」をしているようなものです。しかし、デタラメに散歩しているだけでは、目的地(目標)には辿り着けません。つまり、ただデタラメに頑張っているだけではいけません。
面倒くさいことを回避しては絶対に生きてゆけない
まともに生きていくためには面倒くさい事を避ける事はできません。掃除、洗濯、通勤、仕事、買い出し、歯磨き、入浴などなど。生きていくためには面倒くさい事が沢山あります。「家政婦を雇う」などの対策で負担を減らす事はできますが、そのためには家政婦代の分、余計に働かなければいけません。人として生きていくためには面倒くさいことは避けられないのです。
楽しかろうが楽しくなかろうが何かに挑戦
この名言は、挑戦し続けることの重要性を強調しています。この言葉の背景には、人生には楽しいことだけでなく、辛いことや困難な状況も多く含まれているという現実があります。楽しい瞬間があっても、それが永遠に続くわけではありませんし、逆に辛い時期が続くこともあります。しかし、重要なのはその過程で自分自身が成長し続け、挑戦を止めないことです。挑戦することで新しい経験を積み、スキルを磨き、自己成長を促進します。挑戦することは、結果よりもそのプロセス自体が価値を持っているのです。楽しくない時期でも、挑戦を続けることで得られる学びや成長が必ずあります。これにより、自分自身の限界を広げ、新たな可能性を見出すことができるのです。また、挑戦を続けることで、困難を乗り越える力や忍耐力が養われます。楽しいことだけを求めて挑戦を避けると、成長の機会を失ってしまいます。マツコ・デラックスの言葉は、楽しいかどうかにかかわらず、挑戦し続けることが人生を豊かにし、自己を高めるために不可欠であることを教えています。
④「対人関係」に関するマツコ・デラックスの名言10
動物とコミュニケーションをとる必要ある?
世の中には沢山の人がいます。日本という国に限定しても1.2億人いますから、色々な人がいます。という事は、論理的に考えられない人、想像力が足りない自己中心的な人、というのも一定数居ます。このような頭が悪い人達は、極端に言えば、物事を考えられない動物と同じです。頭が悪い生き物とコミュニケーションを取り、分かりあおうとするのは無駄ですし、無理がありますよね。何か問題ある人に対しては、「分かり合う」以外の選択肢も考えてみる事も必要です。
人間には自由があり、そして節度がある
我々日本人には色々な自由があります。例えば、職業選択、どこに住むか、何を食べるか、などなど。しかし、なんでもかんでも自由にしてしまうと、秩序が無くなり世の中はまさに混沌とした世界になります。例えば、人を自由にぶん殴ってもいい、10万円以下なら強盗をしても良い、なんていう自由があったらみんなが困ります。今この世の中が平和で秩序があるのは、節度があってのものなのです。
人間って誰かに支えられ、誰かを支えという大きな構造
全ての人間は「誰かを支えている」し、「誰かに支えられている」と言えます。例えば、スタバの店員は、お客さんが払うお金の一部が給料になっているし、創業者や経営者たちが雇用を作ったから、店員さんはお金を稼げています。お客さんは、店員さんのおかげでサービスを受けられるし、遠いところで言えば、電力会社で働く人のおかげでその店舗を利用する事ができる、という側面もあります。仕事をしていないニートでさえ、モノやサービスの消費をしているので、誰かの役に立っています。全ての人は、全ての人に役に立っているのです。
自分の理解できないことっていうのは恐怖
物事を理解すれば、「これはこうこうこうだから、大丈夫、問題ない。」と思えますが、自分が理解できない事は、「どうなるかわからない」ために、恐怖を感じたりします。例えば、遠い未来に発生するであろう、中国による日本への軍事侵攻。これについてあまりよくわかっていない方は恐怖を感じでしょうが、知識や論理があると恐怖は薄らぎます。その理由は、5つ。①日本よりも先に台湾に進軍する。②中国と日本の間には海があるので、戦車がめちゃくちゃ上陸しにくい。③船を使うことになるが、陸地に到着する前にミサイル撃っちゃえば大丈夫。④「実は日本は核弾頭を持っている。」という噂があり、噂だけでも抑止力になる。⑤アメリカと軍事同盟を組んでいるので、日本への進軍は実質日本&アメリカとの戦争になる。などなど、このように物事をちゃんと理解すると、恐怖は薄くなります。もし、恐怖を感じる事があるなら、徹底的に向き合ってみましょう。
迷惑をかけてしまった人に謝るなら
この名言は、現代の芸能人や有名人がスキャンダルや問題行動を起こした際に、メディアや公の場で謝罪を行う風潮に対する疑問を投げかけています。この言葉の背景には、個人の行動に対する謝罪が本来ならば直接的な被害を受けた人々に対して行われるべきだという考えがあります。例えば、芸能人が何かしらの不祥事を起こした場合、その行動によって実際に影響を受けたのは特定の人々や関係者だけであり、全国民全体に対する謝罪が必要なのかという疑問が浮かびます。マツコ・デラックスは、全国民に向けて謝罪することは過剰であり、実際に被害を受けた人々に対して誠実に謝罪することこそが重要だと主張しています。この名言は、現代社会における芸能人や有名人の立場と責任について考えさせられる一言です。特に、メディアの影響力や社会の注目度が高まる中で、彼らが公共の場で謝罪を求められる状況が多いですが、実際にはその必要性や意義について再考するべきだと示唆しています。つまり、個人の行動に対する責任はまず直接的な関係者に対して果たすべきであり、広く全国民に対する謝罪はその次の問題であると述べています。
本当に友達なのかしら?
まず、「本当に友達なのかしら?」という部分は、私たちが友人と考えている人々が、実際にはどれほどの真実味を持っているかを疑問視しています。多くの場合、私たちは表面的な付き合いで友人関係を築いていますが、その関係が真に深く、困難な状況に直面したときに支え合えるものかどうかは不確かです。次に、「金の切れ目が縁の切れ目よ?」という部分は、金銭的な状況が人間関係に大きな影響を与えることを強調しています。お金があるうちは良い関係を保てる友人も、金銭的な支えが無くなると途端に関係が途絶えることがあります。これは、人々がしばしば利己的な理由で関係を維持していることを示唆しています。この名言を通じて、マツコは、私たちが人間関係を見直すきっかけを提供しています。真の友人関係とは、金銭的な利益や条件に左右されないものであり、困難な時こそ支え合える関係です。彼女の言葉は、私たちに深い自己反省を促し、本当に信頼できる関係を見極めるための指針となります。
男と女どころか、個体と個体が分かり合うなんて
この名言は人と人とが完全に理解し合うことは非常に難しいという現実を指摘しています。性別の違いだけでなく、個々の性格や経験、価値観の違いがあるため、完全な理解や共感は幻想に過ぎないということです。人間はそれぞれ異なる存在であり、その違いを完全に乗り越えることはできないという事をマツコは言っています。次に、「だからアタシは感情は出すべきと思ってるのよ」という部分ですが、これはその現実を踏まえた上でのアドバイスです。完全に理解し合うことができないからこそ、自分の感情を率直に表現することが大切だと彼は言っています。感情を抑え込んでしまうと、誤解や摩擦が生まれやすくなります。自分の気持ちや考えを正直に表現することで、少なくとも相手に自分の立場や感情を伝えることができ、誤解を減らすことができます。
嫌いは好きの裏返し
この名言は、強い感情の裏には常に強い関心や期待があることを示唆しています。例えば、特定の人や物事に対して「嫌い」という感情を抱くとき、それは実際にはその対象に対する深い関心や期待の裏返しであることが多いです。つまり、「嫌い」という感情が生まれるのは、その対象に対して無関心ではいられない、あるいは何らかの強い思い入れがあるからです。このように、嫌いと好きは表裏一体であり、両者の間には感情の強さという共通点があります。一方、「本当の嫌いはさようなら」という部分は、真の無関心の状態を示しています。ここで言う「本当の嫌い」とは、その対象に対して完全に興味を失い、関わりを持つことさえ避けたいという状態を指しています。この段階では、感情的な反応すらも起こらず、むしろ無関心に近い状態です。つまり、本当に「嫌い」と感じるときは、その対象から心の中で完全に離れている状態、いわば「さようなら」を告げる状態なのです。
デブだからって人付き合いを避けない
「デブだからって人付き合いを避けないで」という部分は、自分の体型や外見に対するネガティブな感情にとらわれずに、積極的に人との関わりを持つことを勧めています。人付き合いを避けることで、自分の成長や新しい経験の機会を逃してしまう可能性があるからです。「大人は人格や仕事で評価するのよ」という部分では、成熟した社会においては、外見よりも内面の人間性や仕事の成果が重要視されるという現実を示しています。大人の世界では、信頼性、責任感、スキル、そして他者への配慮などが評価の基準となります。したがって、自分の内面を磨き、仕事での成果を上げることが、真の評価につながるのです。
「大嫌い」って「大好き」と同じくらいのパワー
例えば、ある芸能人が大嫌いだと言う人は、その芸能人の行動や発言に対して強い反応を示し、時には批判や悪口を言うことがあります。この強い反応は、実はその芸能人に対する関心が高いということを示しています。つまり、大嫌いという感情は無関心からは生まれず、むしろその対象に対する深い関心から来るものです。一方、大好きという感情も同様に、対象への強い関心から生まれます。好きな芸能人の新作をチェックしたり、イベントに参加したりするのは、その人に対する興味や関心が高いからです。このように、大嫌いも大好きも強い感情であり、どちらも対象に対する深い関心を反映しています。無関心とは対照的に、強い感情はその対象について多くの時間とエネルギーを費やすことになります。マツコ・デラックスの名言は、この感情のダイナミクスを鋭く捉えており、人間関係や社会現象を理解する上で重要な視点を提供しています。
⑤「メンタル」に関するマツコ・デラックスの名言6
あんまり若いうちからしっかりしすぎちゃダメ
「失敗が許されるのは、若いうちだけ」です。つまり、歳を取るほどに失敗は許されなくなる、という構造が世の中にはあります。未成年の犯罪なんかはわかりやすいです。同じ犯罪でも、大人が下される罰よりも未成年の刑は軽くて済んだりします。若いうちは「自ら進んで失敗する」くらいの心持ちがあると、長期的には良い選択肢になるかもしれません。ただし、「人に迷惑をかける失敗」は、「ごめんなさい」では済まされない場合もあります。ご注意を。
ただ人の成功をねたんでいるだけでは
人の成功をねたむ事は、人間誰しもあるでしょうが、妬む「だけ」で終わらせてしまうと、あなた自身の成長に繋がりません。例えば、年収2,000万稼いでる人に対して羨ましいと思ったら、それで終わりにするので無く、その人から学べる事を探してみましょう。そのような学びを積み重ねれば、後々必ずその学びは生きてきます。
塞ぎ込んじゃったら、どんどん塞ぎ込んじゃう
悩み、問題に対する対処法は5つあります。解決、逃げる、(とりあえず)保存する、忘れる、(誰かと)共有する、の5つ。悩み、問題を解決できれば一番良いでしょうが、あなた自身では解決できない問題も沢山あります。例えば、愛犬が亡くなった、とか、志望校に落ちた、とかは解決する事はできませんよね。そういった場合、一番手っ取り早いのが、この名言の通り「忘れる」です。特に、わざと忙しい状況を作ると、その悩みを思い出す暇もなくなるので、塞ぎ込む事ができなくなるでしょう。
地球のように明るい時があるから
人生、何年も生きていれば、辛い事は必ず起きます。でも、辛い事だけではなく、楽しい事、嬉しい事も起こります。もし今、辛くて悲しい「暗い時」であれば、それはいつか必ず終わります。ふいにやってくる次の「明るい時」が来るまで、少しだけ頑張ってみましょう。きっと暗い時の経験が後々活きてきます。悲観的になりすぎず乗り越えてていきましょう。
腹が減るってのは元気な証拠
マツコ・デラックスの「腹が減るってのは元気な証拠だよ。」という名言は、一見シンプルですが、深い意味を持っています。この言葉は、食欲が健康のバロメーターであることを示しています。人間の身体は健康であれば、エネルギーを必要とし、それを補うために自然と食欲が湧きます。逆に、病気やストレスなどで体調が悪いと、食欲が減退することが多いです。したがって、「腹が減る」という自然な欲求があることは、身体が正常に機能している証拠であり、健康状態が良好であることを意味します。さらに、この言葉には心理的な側面も含まれています。食欲は生活の楽しみの一つであり、日常の喜びでもあります。食事を楽しむことができるということは、精神的にも安定しており、幸福感を感じられる状態であるとも言えます。つまり、「腹が減る」という感覚は、身体的な健康だけでなく、精神的な健康も表しているのです。また、この言葉はシンプルでありながら励ましのメッセージでもあります。たとえば、体調が悪くて食欲がない時にこの言葉を思い出すことで、早く元気になって「またお腹が減るようになりたい」という前向きな気持ちを持つことができます。健康の大切さを再認識し、日々の生活をより大切に感じることができるでしょう。要するに、マツコ・デラックスのこの名言は、健康の象徴としての食欲を肯定し、その重要性を伝えるだけでなく、日常の中での小さな幸せや喜びを見逃さないことの大切さも教えてくれます。
コンプレックスは誰もが持っている
この言葉の背景には、コンプレックスを持つことが人間として自然なことであり、それを受け入れることが大切だという考えがあります。誰もがコンプレックスを持っていることを理解すれば、自分だけが特別に劣っているわけではないと感じられ、自己肯定感が高まるかもしれません。また、他人のコンプレックスにも共感しやすくなり、人間関係が円滑になる可能性もあります。さらに、コンプレックスは成長の原動力にもなり得ます。自分の弱点を認識することで、それを克服するための努力をする意欲が湧き、結果として自己改善や自己成長につながることもあります。このように、マツコ・デラックスの言葉は、コンプレックスを持つことの普遍性と、それを受け入れ、活用することの重要性を伝えています。
⑥「恋愛」に関するマツコ・デラックスの名言8
男の浮気癖は直りません
マツコ・デラックスの名言「男の浮気癖は直りません!許せないなら許せるように!」は、浮気の問題についての現実的な視点を表しています。まず、「男の浮気癖は直りません」という部分は、一部の男性における浮気の傾向が、性格や本質的な部分に根ざしているため、簡単には変えられないという現実を指摘しています。つまり、浮気を繰り返す男性に対して、それを完全にやめさせることは難しいということです。次に、「許せないなら許せるように!」という言葉は、相手の浮気に対する自身の対応の仕方についてのアドバイスです。浮気をどうしても許せないと感じる場合、その感情を無理に抑え込むのではなく、自分自身の考え方や感じ方を変える努力をするべきだという意味です。具体的には、浮気を一度は許すか、もしくは浮気をしないパートナーを探すことが選択肢として挙げられます。この名言は、浮気に対する絶対的な解決策が存在しない現実を受け入れ、自分自身がどのように対応するかを主体的に考える重要性を強調しています。人間関係における問題解決の一つの方法として、自己変革や寛容の心を持つことが必要だというメッセージが込められています。マツコ・デラックスの独特の鋭い観察眼と率直な表現が、浮気問題に対する現実的な対応を示唆しています。
男と女が分かり合えないからドラマがある
マツコ・デラックスの名言「男と女が分かり合えないからドラマがあるし、それこそが人生」は、性別の違いによる理解の難しさが、人生の豊かさや魅力を生み出すという考え方を示しています。まず、「男と女が分かり合えない」という部分には、性別による価値観や感情、考え方の違いが含まれています。多くの場合、男性と女性は異なる育ち方や社会的役割を経験するため、同じ状況でも感じ方や反応が異なります。この違いが原因で誤解や衝突が生じることがあります。次に、「ドラマがあるし」という表現は、こうした誤解や衝突が物語を生み出すという意味です。ドラマや映画、文学作品では、異なる背景を持つ人物同士の対立や理解が、物語を動かす原動力となることが多いです。男女間の葛藤や和解は、観客や読者にとって興味深いテーマであり、感情移入を促します。そして、「それこそが人生」という部分は、こうした対立や和解の過程こそが人間の生活を豊かにし、成長を促すという意味です。人々は異なる考え方や価値観に触れることで、自分自身の理解を深め、広い視野を持つようになります。異性との対話や関わりを通じて、自己を見つめ直し、他者との共感を深めることができます。
誰もが良い夫、良い妻を見つけ社会的にも経済的にも
この名言では、人々が社会的・経済的に安定した生活を望む一方で、奔放な生活、特に奔放な性生活も楽しみたいという二つの欲求が同時に満たされることは難しいと述べています。ここでの「良い夫、良い妻を見つける」というのは、安定した家庭生活を築くことを指します。これは社会的な成功や経済的安定と深く関わっています。一方で「奔放な生活」というのは、自由奔放で束縛のない生活、特に性的な自由を求めることです。マツコは、この二つの欲求が矛盾していると指摘しています。なぜなら、安定した家庭生活は信頼と責任の上に成り立つものであり、そこには一定の規律や制約が必要です。一方、奔放な性生活はその逆で、自由と冒険を求めるものです。したがって、安定と奔放は本質的に相容れないというわけです。
簡単にモテちゃう「いい女の極意」なんて
多くの人は、簡単に異性に好かれたり、注目を浴びたりする方法を探しがちです。しかし、マツコ・デラックスはそのような「虫のいい話」、つまり現実的ではない甘い話を否定しています。実際に人間関係や魅力を育むためには、日々の積み重ねが重要です。自己啓発や内面的な成長、他者への思いやりや共感といった要素が求められます。また、この名言は表面的な魅力に頼らず、本質的な価値を高めることの重要性も示唆しています。外見だけでなく、知識や経験、人間性を磨くことで、本当の意味で魅力的な存在となることができるのです。そのため、「いい女の極意」を追求するのであれば、内面的な成長を重視し、自分を磨き続けることが必要であるとマツコ・デラックスは強調しています。この名言は、自己改善を続けることで本質的な魅力を備えた人間になれるというメッセージを含んでおり、短絡的な成功を求めるのではなく、地道な努力の重要性を説いています。
いい女になりたければ、いい女から
まず、「いい女」とは、外見だけでなく内面も魅力的な女性を指しています。これは、品格や知性、心の豊かさなど、多面的な魅力を持つ女性を意味します。マツコ・デラックスは、こうした女性たちから学ぶことが、自己成長の鍵であると説いています。具体的には、「いい女」から学ぶことで、自分に足りないものや改善すべき点を見つけることができます。例えば、優雅な立ち振る舞いやコミュニケーション能力、感情のコントロール、自己管理能力など、多くのことを観察し、自分のものにすることができます。また、この学びのプロセスには、尊敬や謙虚さが必要です。他人の良いところを認め、素直に学ぶ姿勢を持つことが、自分を成長させる大切な要素となります。これにより、自分自身の限界を突破し、より魅力的な自分に近づくことができるのです。最終的に、この名言は、自分をより良くするためには、理想とする人物から学び、その姿勢を取り入れることが重要であるという教訓を伝えています。他者の良いところを吸収し、それを自分の糧とすることで、真に魅力的な「いい女」へと成長することができるのです。
一般の夫婦がいつまでたっても夜の営みがお盛ん
この名言は、夫婦関係の現実と理想について述べたものです。一般的に、夫婦が結婚生活を続ける中で、性的な関係がいつまでも新婚時代のように頻繁で情熱的であることは、統計的に見ても現実的ではないと彼は言います。時間が経つにつれて、多くの夫婦は性的な頻度が減少する傾向にあります。これは生理的な変化や生活環境の変化、仕事や育児のストレスなどが原因です。この現実を受け入れることが大切だとマツコ・デラックスは強調しています。夫婦関係を長続きさせるためには、性的な関係だけに依存するのではなく、それを超えた深い愛情や絆を築くことが必要だというのです。具体的には、お互いに対する理解や尊重、信頼、共感などが重要になります。夫婦が共に過ごす時間や経験を通じて、精神的なつながりを強めることが求められます。このようにして、夫婦は互いに支え合い、愛情を深めていくことができるのです。性的な関係は夫婦愛の一部に過ぎず、全てではないという認識を持つことが、長続きする幸せな関係を築く鍵だとマツコ・デラックスは示唆しています。このメッセージは、夫婦が現実的な期待を持ちつつ、より豊かな関係を目指すための重要な指針となるでしょう。
ときめかないのは、お互い様
まず、「ときめかないのは、お互い様」という部分について考えてみましょう。人は誰でも、時間が経つにつれて新鮮さや興奮を失うことがあります。最初は心が踊るような関係も、日常の中で次第にときめきを失ってしまうことがあります。この現象はどちらか一方に責任があるわけではなく、双方に共通する自然なことだ、というのが「お互い様」の意味するところです。次に、「それを救うのは、無償の愛。」という部分です。ここで言う「無償の愛」とは、見返りを期待しない純粋な愛情のことです。ときめきがなくなった時、それでも関係を続けられるかどうかは、相手に対する無条件の愛情があるかどうかにかかっています。この愛情は、相手の欠点や変化を受け入れ、その存在そのものを大切に思う気持ちです。この名言は、人間関係の持続には一時的な感情よりも深い理解と無条件の愛が重要であるというメッセージを伝えています。つまり、関係の初期のときめきが薄れても、それを超えて相手を思いやり、支え合う心が関係を救い、深めるのです。時間が経つとともに自然に訪れる「ときめかない」状態を受け入れ、その先にある深い絆を築くための指針を示しています。
あなたたちは年収とか数字でしか恋できない
この発言は、現代の恋愛観がどうしても外見やステータス、収入といった表面的な要素に左右されがちであることを浮き彫りにしています。マツコは、そうした傾向が真実の愛や深い人間関係を築く妨げになっていると考えているのでしょう。恋愛は本来、お互いの人格や価値観の共有、感情的な結びつきなど、数字では表せない要素が重要であるはずです。しかし、現実には経済力や社会的ステータスが強調され、真の愛情や理解が二の次にされている現状に対する警鐘を鳴らしています。この名言は、恋愛の本質を見失わず、表面的な条件に惑わされずに、人間としての本当のつながりを求めることの重要性を再認識させてくれるものです。愛は数字で測ることができないものであり、そのことを忘れないようにというメッセージが込められています。